Hyperuricemia / 高尿酸血症 Vol.3
我々は常に暗黒物質の中に居る、 ちゃん坂です。
𐂲
すんまへん、更新期間が開いておりますことをお詫びさせていただきます。
なんだかんだがありがちでした …。
そんなワケで御座いまして、2度目の痛風発作に関する話をお届けしーます!
✬
あれは2017年の、確か4月25日の夜だった。
左膝の皿の裏辺りに軽い痛みがあるのに気付き、こいつぁ何だ?と。
軽い打撲によるものかなと云う感じであったが、膝をどうにかしたなんて記憶はない。
ということは …、と、あの時の不安と恐怖が蘇る。
だが「ほんの少しの痛み」だったので、こんなもんほっときゃ治るだろうと思っていた。
再びの、だが「ほんの少しの痛み」が、時間の経過と共にゆっくりと増幅して行く。
ニヤッとさえする程だった。
それから大体5時間ほど経った頃 …。
やはりのやはり、そいつは全く以っての10年振りにして2度目の発作君であった!
「なんてこったい。」〜古いアメリカ映画の吹替え調だ!
1回出ると、どんな対策を講じたとしても遅かれ早かれで必ず2回目が出る!と言うのが逃れられない高尿酸血症界の摂理であるってことで、それは何時なのか、明日か、忘れた頃の10年後か!なんて極端に幅を広げて思っていたりなんかしたところ、ホントに10年後に出ていただけたワケである。
それでその時の痛みの度合いであるが、なんと幸運にも動作などによる刺激を与えなければ、腫れと熱による違和感だけがある状態であった。
だが、深刻具合には変わりはない。
椅子に座った状態から立ち上がる動作がきつく、その速度は非常にスロウである。
立ち切った後も激痛は残って居るので、それが治まるのを待つ。
だいたい5秒ほどだろうか。静止して居ると痛みは引いて歩ける状態になり、左を軽く引きづりながらも歩行は可能である。がしかし、歩行中は激とまでは行かずともの痛みが続く。
勿の論で、その逆の動作である座るときもまた同じように困難が伴うのであった。
電車に乗った時、あまり考えずに座る動作に入ってしまった時は「あっ!」と、後悔した。。
そのような状況の中、最も心配しなければならないライヴの運命の日程はどんなんであったか!
なんと、4日後の29日に「湯河原音泉歌謡祭」の出演が待ち構えておる ‼︎ と、少し焦ったのだが、初発作の超激痛が2日ほどで治まったことを考えると、今回の程度なら4日なんてまぁ問題はねえだろう…、と、今思うとファッキンな思い込みに至っていたのであった。
実際、電子ドラム(YAMAHA)での演奏時の痛みに関しては何の問題もなかったのである。
そんな訳で多少軽目に考えていたのではあったのだが、結局のところ歌謡祭までの4日間、凡ゆる措置をとったにも関わらず、痛みが完全に引くには至らなかった。が、それでもピーク時の半分くらいにはなっていたのが救いだった。
座ってしまえば痛みはなく、演奏もいつも通りに出来ると云う状態であるので、ライヴ本番での問題点と言えば入退場だけであったのだが、これも耐えられる痛みであったので、問題なくクリアー出来ていたと思われる。
しかし、中には俺の歩行具合を見て「あれ?」と思われた方もおられたのではないだろうか。
それにしても、ライヴの迫っている時期に痛風発作に発症されながらも、奇跡的にいつもの様にプレイする事が出来たこと、実に3回…。
こいつぁ、途轍もなく崇高なLuckyではないだろうか ‼︎
Lucky繋がりで、Lucky Strike Non-Filterが吸いたくなったな (ホント) 。
あの殆ど正方形に近いパッケージに、アメリカンでストレートなデザイン。
30年前に吸っていた時の味の記憶が、鮮明に蘇るぐらいだった。
モクといえばあれだ。最もカッコいい。
ジョニー・サンダースもそうだったな…。
そういえば、Bessie Hall でジョニーのライヴを観た事がある。
その後、そんなに経たずして彼は亡くなってしまったんだが、何と享年38歳だったのを改めて確認して、非常に物思うところが多かった。。
Lucky な運はそのうち、いや、直ぐにでも尽きる。
色々考え直させられる経験だった。
痛風発作君に感謝だな。。
4度目を迎える事のないように、気をつけるのみである。
と云うワケで御座いまして、殆ど完結の痛風発作3回発症物語でした ~ ‼︎
次回は初発症時の、怒りの30キロ減ダイエットに関して書きたいと思っとります。
サンキューです (꒪ཀ꒪)