Hyperuricemia / 高尿酸血症 Vol.2
電磁波まみれだ! ちゃん坂です。
𓁿
自分はこれまで3度の痛風発作を経験した。
馬鹿みたいな激痛に、気を失いたいと思った。
そして、タイミング的には、3度ともライヴへの最悪の影響が非常に懸念される状況であった。
しかし、信じられない程の強運に助けられたと云うくらいに、その窮地を脱することが出来た。
どのような状況であったかー!…
先ず、12年ほど前の初発作時を思い起こしてみよう。
朝から左足首に、振ったり回したりしたら「ピキッ」といって治りそうなタイプの軽い違和感を感じていた。
その日は12時頃から、3日後に待ち構えている名古屋でのライヴのためのリハーサルがあった。
滞りなくリハを終えて、18時頃に最寄りの駅へと向かう。
違和感のかなりの増大に、左足をかばい、軽く引きづって歩く。
こいつぁ、何か異常な事が起きてるな…と云う不安に駆られる。
その晩から明け方にかけて、違和感は激痛へと変化していったのである。
朝イチで這って病院へ!
足首のレントゲンを見て
「痛風ですね。」
と、医者が軽くニヤリとして仰られた。
特にアドバイスも無く、「よく読んで。」と、痛風発作発症者用小冊子を渡されて診察室を出る。
その後、受付にて会計時に保証金を預け、アルミ製の松葉杖をレンタルして病院を後にした。
その時の自分の体重は約95キロあり、写真を確認すると相当なヤバイ感に駆られるコトウケアイではある、気もする。
…、パンパンだったなぁ。
でも自分では否定していた。その為、Tシャツは絶対にMだったがね!
そんな具合で、ここはこの世か⁉︎ な激痛に悶絶しながら、明後日のライヴへの不安が頭をよぎる。
兎に角今は耐えるしかない!と、処方されたボルタレンゲルを塗る。
が、その塗る行為がまた、激痛に激痛を重ねる訳であった。しかし、息を詰まらせながらも何とか塗布していた。
ライヴがある明後日までに、この痛みが消えるなんて事は有り得ない ‼︎ と、確信すると、焦りで冷や汗が…‼︎
そして、その翌朝である。
起床した時、痛みが和らいでいるのに気づいた。
寝床に入った時は、相変わらずの耐え難き痛みであったが、いつの間にか寝入っていたと云う事は、その辺りから痛みが和らいで行っていたのであろうと思われる。
それにしても激痛には変わりはなかったので、先ずは安静を続けていたワケであるが、夕方ぐらいになるとハッキリと症状の緩和を感じられるようになって来ていた。
ジンジンとはしているが、体重をかけなければ痛みは少ない。全然治ったわけではないが、正に死の直前に楽園まで辿り着けたぐらいの安心感に包まれた気がした。
その後も痛みは引いていき、夜半過ぎにはかなりの回復を見せていた。
黙って居れば全く痛みは感じない。安堵に満ちた花園で爽やかな微風が頰を撫でている。
そんなこんなで、名古屋ライヴの為に出発する当日がやって来た。
患部の状態は…!
全く問題は無かった。
流石に完璧では無かったが、痛みは殆ど無く、歩行にも問題はない。
だが、負担をなるべく減らす為に松葉杖は使っていた。
ライヴ本番も、痛みで演奏が儘ならぬ事もなく、いつも通りに出来た。
この時ほどホッとした時を知らない。
痛風発作の痛みは、大概は2週間程に渡ると云う事であるが、それが2日で治まったなんてのは、奇跡と言っていい程だった。
痛風発作発症時に於いて、見えざる守護の手の存在を強く感じた最初であったのである。
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「僕の痛風発作」第2回は如何でらしたでしょうか?
第3回もご期待下さいませ ⁉︎
イェイイェイ ! チェケラチョ ‼︎
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