脳天気コントローラー
必要欠くべからざる午後
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何色かの香の詰まった木の箱から、無造作に一粒取り出しマッチで火をつける。
漂う煙が、夕暮れ時の胡散臭さを必要以上に醸し出していた。
アルコホルのまわったアタマはボンヤリと痺れており、総ての力の抜け切ったカラダは、まるで宙に浮かんでいるかのような感覚に見まわれている。
途轍も無い怠さの中にいた。
もう少ししたらやって来る、騒々しくて空っぽな夜にひとり手を合わせる。
「ナンマンダブ…。ヘイ!ナンマンダブ。」
商店街から耳に届く足音、笑い声、叫びなどの反響。人々の「普通」と云われる生活の声かも知れない。
平和な時代が素晴らしい。それを脅かす存在や事象には気づかない方がいい。
そこから派生し続けている余計な産物にも目を瞑っておこう。
やはり面倒臭いから。
「非道徳的」を発見して即座に対応し行動に移ると危険を伴うし、道徳ってやつにも色々あるので、自分の基準のみにおいて肩に揺さ振りを与えていると、大変な事態に陥る場合も日常的にあり得るのだね。
ある程度の生きる領域を設定する必要がある。
そうしなければ、災厄に見舞われる確率も上がり、何も見られず何も得られず、素直に楽しむ事も侭ならない。
自分の確固たる熱い信念を何となく丁度いい所に留めておいて、毎日を楽しむ事だけを考えるほうがいいかもしれない。
最近は、突出する輝けるものを目の当たりにして、それを素直に受け入れる準備のある大物が少なめである。
何故か反撥し、見て見ぬ振りを決め込んで影響される事を恐れる。
自分が否定される可能性のあるモノには、敏感に拒絶反応を示すのだ。
成長を拒む理由は何だ? ヘラヘラすることは簡単なのに。
メシを喰う為の最低限に敷かれたラインは「脳天気」
これのみで充分である。
もし彼がそのラインを知っているのなら、それは既にただの脳天気ではない。
コントロール出来る能力によって、自由に操作する事が可能な脳天気だ。
高度である。
最早、追うべきものは無い。
彼に与えられるべき称号は、「脳天気コントローラー」であろう。
人は人と結びつく。そこに憎悪は、無い方がいい。
「脳コン」の彼は、その結びつきの劇的瞬間に『和』を創るエッセンスを振りまく。
そこには、潜在意識的情愛がナチュラルに満ち溢れている。
否、満ち溢れたと思わせるに長けている己がいる。
それこそが、誰もが素直に認める事が可能な『道徳』なんて云う、ちゃぶ台に鎮座をする湯呑み茶碗の中に立つ茶柱なんじゃないかな。
つば八 嵐山店 1987