お台場のサタデー
穏やかでない、、ちゃん坂です。
久しぶりのZepp Divercity Tokyo は何ともでかかった。
流石である。
柱の無い広い空間を誇る建築技術力のレベルの高さを感じました。
そんなことを思わせる、あの広い会場に集まってくれた沢山のお客様に感謝です。
ありがとう‼︎‼︎
35周年を迎えた怒髪天。
ホントに「すげえなぁ…。」と、自ら感嘆に至るワケであります。
30周年の武道館公演から5年も経ってしまっているとは!
誰にも邪魔は出来ません。
あとは、身体が自由に動ける状態を保つんだってことですね。
チャーリー・ワッツ、77歳。
デボラ・ハリー、73歳(あのデボラが!)。
ジャズ・ドラマーのロイ・ヘインズ大師匠はまだまだ93歳。
超人…ですな。
素敵だ。
医学の近々の爆発的な進歩に期待してます ~ 。
ナイスに寒いSapporo
༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅༄༅
自分にとって吹雪は、交通にはマイナス、気持ちにはプラス。 の、ちゃん坂です。
行って参りました、北海道・札幌Penny Lane 24 - 2 Days 。
真冬の北海道はやはりハンパなかったなぁ。
寒さに気合が入っている!
滞在中は降雪に目立った激しさは無く、交通の大幅な乱れによる混乱もなかったようで、概ね滞りなく - で良かったですな。
ライブも、ハートが燃えすぎるほどに熱くなっておりましたよ ~ , イェイイェイ。
[Penny Lane 24]は、既に我々のHomeで御座いますなぁ ~
札幌にて、2019年を乗り切る為の根幹的パワーをいただきましたね。 感謝です。
寒さも気持ち良かったんですが、雪の粉っぽさ具合もこれまた良かったなぁ。
やっぱこれだよなぁ的な感じですかね ★
そんで、時間の合間をぬって、余市の実家に顔を出してきました。
友人に送ってもらったんですが、早速制覇に至りましたよ〜、後志自動車道 ‼︎
いやぁー、感動だったなぁ。
いやぁー、素晴らしい。
しかも、出口からMy 実家までがとてーも近い。
早いとこの倶知安までの開通をお祈りさせていただきます。
余市からの帰りは、小樽から札幌へは高速バスに乗ったんですが、これもまたいいフィーリングでしたな。
何にも考えず、ただ揺られる。。
帰りの日の降雪が凄かったですね。
流石というほどの降り具合でした。
猛吹雪の真夜中、街灯の下で悪友とアイスを食いながら歩いたのを思い出すなぁ…。
電車や飛行機などに遅延が出ておりましたが、無事に東京へ戻って来ております ~ 。
寒さに元気を貰った数日間でした。
𖠇
ライブ当日には差し入れも多数いただいております。
お気遣い頂けると云うことの有難さが身に沁みますね。
感謝です、ありがとうございます ~ ‼︎
⍟
と云うワケで御座いまして、Next の怒髪天ツアー会場は「Zepp Divercity Tokyo」 ‼︎
あそこはデッカいぞぉ〜。
現代の最もヤバいもんが観れるぞ〜 (º﹃º):.*೨
お待ちして (*ʚ° ) おります。。
2018年12月31日(月)
今年のラスト・デイ、深く考えるな! の、ちゃん坂です。
❁
昨日、1月2日に新宿ロフトで開催される、亜無亜危異・仲野茂先輩の誕生日イベントに出演する「LTD EXHOUST」のリハーサルに行って来ました。
速い8分の曲が多いんですが、以前は妙にリキが入って腕の疲労を感じていたところ、昨日は全くそれが無かった。
音も柔らか目に感じられるというか、スティックのシンバルやフィルムへの馴染み具合が「おっ!」と思う程良かったんですな。
吸いつくと言うか …。
まぁ、耳栓での消音効果による所もかなり大きいんでしょうが、先ずスティックから伝わってくる感触が妙に優しい。
試しに耳栓を外すと音はふつうにデカく、ゆるい音出してんじゃねえよという感じはありません。
今回のツアーあたりから、明確に感触が変わって来たのを感じてはいたのですが、怒髪天ではない別の面子で演奏することによって、更にハッキリ目にその違いが感じられたのかな、と思いましたね。
そんなワケで、本日の長野Junk Box / 長野闘気オレンピック2018 / 輝く!日本オレコード大賞! での演奏の楽しみだなぁ具合もドーンとマシマシとなっております。
マシマシといえば、もう2ヶ月にも渡って「二郎インスパイア」といわれるラーメンを食ってない!
これでいいんだろうか ⁉︎ …
𖢻
そんな感じで士気を高めておる2018年も末の[ちゃん坂]でした!
良いお年を!
長野闘気オレンピックまで、あと◯時間 ‼︎ ← 2 かな?
Hyperuricemia / 高尿酸血症 Vol.3
我々は常に暗黒物質の中に居る、 ちゃん坂です。
𐂲
すんまへん、更新期間が開いておりますことをお詫びさせていただきます。
なんだかんだがありがちでした …。
そんなワケで御座いまして、2度目の痛風発作に関する話をお届けしーます!
✬
あれは2017年の、確か4月25日の夜だった。
左膝の皿の裏辺りに軽い痛みがあるのに気付き、こいつぁ何だ?と。
軽い打撲によるものかなと云う感じであったが、膝をどうにかしたなんて記憶はない。
ということは …、と、あの時の不安と恐怖が蘇る。
だが「ほんの少しの痛み」だったので、こんなもんほっときゃ治るだろうと思っていた。
再びの、だが「ほんの少しの痛み」が、時間の経過と共にゆっくりと増幅して行く。
ニヤッとさえする程だった。
それから大体5時間ほど経った頃 …。
やはりのやはり、そいつは全く以っての10年振りにして2度目の発作君であった!
「なんてこったい。」〜古いアメリカ映画の吹替え調だ!
1回出ると、どんな対策を講じたとしても遅かれ早かれで必ず2回目が出る!と言うのが逃れられない高尿酸血症界の摂理であるってことで、それは何時なのか、明日か、忘れた頃の10年後か!なんて極端に幅を広げて思っていたりなんかしたところ、ホントに10年後に出ていただけたワケである。
それでその時の痛みの度合いであるが、なんと幸運にも動作などによる刺激を与えなければ、腫れと熱による違和感だけがある状態であった。
だが、深刻具合には変わりはない。
椅子に座った状態から立ち上がる動作がきつく、その速度は非常にスロウである。
立ち切った後も激痛は残って居るので、それが治まるのを待つ。
だいたい5秒ほどだろうか。静止して居ると痛みは引いて歩ける状態になり、左を軽く引きづりながらも歩行は可能である。がしかし、歩行中は激とまでは行かずともの痛みが続く。
勿の論で、その逆の動作である座るときもまた同じように困難が伴うのであった。
電車に乗った時、あまり考えずに座る動作に入ってしまった時は「あっ!」と、後悔した。。
そのような状況の中、最も心配しなければならないライヴの運命の日程はどんなんであったか!
なんと、4日後の29日に「湯河原音泉歌謡祭」の出演が待ち構えておる ‼︎ と、少し焦ったのだが、初発作の超激痛が2日ほどで治まったことを考えると、今回の程度なら4日なんてまぁ問題はねえだろう…、と、今思うとファッキンな思い込みに至っていたのであった。
実際、電子ドラム(YAMAHA)での演奏時の痛みに関しては何の問題もなかったのである。
そんな訳で多少軽目に考えていたのではあったのだが、結局のところ歌謡祭までの4日間、凡ゆる措置をとったにも関わらず、痛みが完全に引くには至らなかった。が、それでもピーク時の半分くらいにはなっていたのが救いだった。
座ってしまえば痛みはなく、演奏もいつも通りに出来ると云う状態であるので、ライヴ本番での問題点と言えば入退場だけであったのだが、これも耐えられる痛みであったので、問題なくクリアー出来ていたと思われる。
しかし、中には俺の歩行具合を見て「あれ?」と思われた方もおられたのではないだろうか。
それにしても、ライヴの迫っている時期に痛風発作に発症されながらも、奇跡的にいつもの様にプレイする事が出来たこと、実に3回…。
こいつぁ、途轍もなく崇高なLuckyではないだろうか ‼︎
Lucky繋がりで、Lucky Strike Non-Filterが吸いたくなったな (ホント) 。
あの殆ど正方形に近いパッケージに、アメリカンでストレートなデザイン。
30年前に吸っていた時の味の記憶が、鮮明に蘇るぐらいだった。
モクといえばあれだ。最もカッコいい。
ジョニー・サンダースもそうだったな…。
そういえば、Bessie Hall でジョニーのライヴを観た事がある。
その後、そんなに経たずして彼は亡くなってしまったんだが、何と享年38歳だったのを改めて確認して、非常に物思うところが多かった。。
Lucky な運はそのうち、いや、直ぐにでも尽きる。
色々考え直させられる経験だった。
痛風発作君に感謝だな。。
4度目を迎える事のないように、気をつけるのみである。
と云うワケで御座いまして、殆ど完結の痛風発作3回発症物語でした ~ ‼︎
次回は初発症時の、怒りの30キロ減ダイエットに関して書きたいと思っとります。
サンキューです (꒪ཀ꒪)
Hyperuricemia / 高尿酸血症 Vol.2
電磁波まみれだ! ちゃん坂です。
𓁿
自分はこれまで3度の痛風発作を経験した。
馬鹿みたいな激痛に、気を失いたいと思った。
そして、タイミング的には、3度ともライヴへの最悪の影響が非常に懸念される状況であった。
しかし、信じられない程の強運に助けられたと云うくらいに、その窮地を脱することが出来た。
どのような状況であったかー!…
先ず、12年ほど前の初発作時を思い起こしてみよう。
朝から左足首に、振ったり回したりしたら「ピキッ」といって治りそうなタイプの軽い違和感を感じていた。
その日は12時頃から、3日後に待ち構えている名古屋でのライヴのためのリハーサルがあった。
滞りなくリハを終えて、18時頃に最寄りの駅へと向かう。
違和感のかなりの増大に、左足をかばい、軽く引きづって歩く。
こいつぁ、何か異常な事が起きてるな…と云う不安に駆られる。
その晩から明け方にかけて、違和感は激痛へと変化していったのである。
朝イチで這って病院へ!
足首のレントゲンを見て
「痛風ですね。」
と、医者が軽くニヤリとして仰られた。
特にアドバイスも無く、「よく読んで。」と、痛風発作発症者用小冊子を渡されて診察室を出る。
その後、受付にて会計時に保証金を預け、アルミ製の松葉杖をレンタルして病院を後にした。
その時の自分の体重は約95キロあり、写真を確認すると相当なヤバイ感に駆られるコトウケアイではある、気もする。
…、パンパンだったなぁ。
でも自分では否定していた。その為、Tシャツは絶対にMだったがね!
そんな具合で、ここはこの世か⁉︎ な激痛に悶絶しながら、明後日のライヴへの不安が頭をよぎる。
兎に角今は耐えるしかない!と、処方されたボルタレンゲルを塗る。
が、その塗る行為がまた、激痛に激痛を重ねる訳であった。しかし、息を詰まらせながらも何とか塗布していた。
ライヴがある明後日までに、この痛みが消えるなんて事は有り得ない ‼︎ と、確信すると、焦りで冷や汗が…‼︎
そして、その翌朝である。
起床した時、痛みが和らいでいるのに気づいた。
寝床に入った時は、相変わらずの耐え難き痛みであったが、いつの間にか寝入っていたと云う事は、その辺りから痛みが和らいで行っていたのであろうと思われる。
それにしても激痛には変わりはなかったので、先ずは安静を続けていたワケであるが、夕方ぐらいになるとハッキリと症状の緩和を感じられるようになって来ていた。
ジンジンとはしているが、体重をかけなければ痛みは少ない。全然治ったわけではないが、正に死の直前に楽園まで辿り着けたぐらいの安心感に包まれた気がした。
その後も痛みは引いていき、夜半過ぎにはかなりの回復を見せていた。
黙って居れば全く痛みは感じない。安堵に満ちた花園で爽やかな微風が頰を撫でている。
そんなこんなで、名古屋ライヴの為に出発する当日がやって来た。
患部の状態は…!
全く問題は無かった。
流石に完璧では無かったが、痛みは殆ど無く、歩行にも問題はない。
だが、負担をなるべく減らす為に松葉杖は使っていた。
ライヴ本番も、痛みで演奏が儘ならぬ事もなく、いつも通りに出来た。
この時ほどホッとした時を知らない。
痛風発作の痛みは、大概は2週間程に渡ると云う事であるが、それが2日で治まったなんてのは、奇跡と言っていい程だった。
痛風発作発症時に於いて、見えざる守護の手の存在を強く感じた最初であったのである。
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「僕の痛風発作」第2回は如何でらしたでしょうか?
第3回もご期待下さいませ ⁉︎
イェイイェイ ! チェケラチョ ‼︎
https://www.instagram.com/telezume